工芸と、真珠の詰まった頭蓋骨

つい先日、板橋の工芸ギャラリーで、
ちょっとお高い香炉をひとつ、人生で初めて買ってみました。共箱に入った本格的なものです。
それ以来いろんな工芸品に対して急に関心が増したような気がしています。
料理の盛り付けに使われるお皿から、街なかにある陶芸ショップから、博物館のポスターまで、
今まで見落としていたものが急に認識され、頭のなかにスッと入ってくるような感覚……
カメラを持ち歩くと、いつもの通り道の中にもふと見映えする光景を探すようになるものですが、
それと近しいものでしょう。

カメラが10年来の趣味で、
最近はライカのSummarit 50mm/f1.5という60年前のレンズを
sonyのα7Cに取りつけて持ち歩くのがお気に入りになっています。
ピントがマニュアルなので、どう撮ってもぼやけてしまうのだけれど
その思い切りがあると、肩ひじ張らずに撮る楽しみに専念できるのが良いところ。

で、この趣味と、今までやっていた日本文化に関わる仕事が高じてか、この春から、
なんと伝統工芸の人間国宝の方々の取材をするという思いがけない幸運にめぐまれました。
木工、漆芸、彫金、等々ですが、アトリエに伺ってお話を訊くだけではなく、作業工程を見学し撮影もするのです。
工芸を仕事にしている同窓達には嫉妬で怒られそうな話ですが、
今までの研鑽と、運とが重なった結果なので、ここは一つご容赦願いたい……

さて、人間国宝のアトリエとはいかなる場所であるか?
まず当初に抱いていた偏見と先入観を言えば、
人里離れた山奥に清潔な武道場のような建物があり、ぽつねんと道具と座椅子だけが置かれているような、
なにか仙人の住処のような妄想をしていました。

取材で地方を行脚してみると、
実際の所は、市井の中にあってご自宅兼アトリエの方がほとんどです。
生活感に溢れていることには意外性を感じたものの、
一歩、仕事部屋にお邪魔させてもらうと、年季の入った工具と未知の材料に囲まれ、
整然とはしていないけれどしっかりと整頓されている、
それはもう積年の創作が堆積して生み出した景観が広がっています。
特に仕事机の霊性ときたら筆舌に尽くしがたい存在感。近寄ることすら恐怖です。
そんな場所で、先生方には実演をしてもらいました。
圧倒的な技巧を眼前で見て、
身の引き締まる思いと、自分の創作を顧みる思いとが自ずと湧き上がり、
年季への畏敬、技術への憧憬、継承への追憶……色々な気持ちが交錯しました。
そうか、今まで接していた多くの芸術が神への供物に由来するものだったけれど、
労働から生まれた、あらかじめ人間の手の内にある芸術もあるわけで、
工芸はそうした人の生活と切っても切れない関係にあるのだ。
市井にあるのはむしろ当然なのかもしれない……
新たな観点を学ぶことができたと思っています。

それにしても木工の先生が豆カンナで一心不乱に造形している姿の迫力は猛烈だった!
昆虫の巣作りのようなきびきびとした反復動作に、寄せては返す波が海岸の岩を削っていくかのようなリズム。
地球の中の律動と連帯し呼応することで、何かの自然エネルギーを肉体に取り込んだ超人のごとく、
すさまじいものを見たなという余韻がずっと残っています。

話をうかがっていると多くの先生方から、
技術を継承させたいという強い想いが伝わってきます。
取材に前向きに協力してくださるのも、そうした理由があってのことだと思います。
しかしカメラでは指先の力の機微を映しとることはかないません。
技術と知識とが凝縮された無数の小さな真珠が頭蓋骨の中にはぎっしり詰まっていて、
この粒の一つでも取り出して人に手渡すことができたらいいのにな……そんな気持ちになっています。
人に何かを伝えること、遺していくことの難しさは、伝統工芸の一番大きな課題かもしれません。
せっかく取材の機会をいただけたものですから、
自分なりにこの課題に応えることができればいいなと考えています。

皆様におかれましても、まず手始めにぐい呑みなどをを購入されてみることをおすすめします。
それがきっと、工芸への関心の入り口になると思います。